
年女だと昨日気づいたとぼけっぷり全壊...じゃなく
全開のちまめです。
アイキャッチの画像は
おひとりさまカフェの時のもの。
おひとりさまカフェが出来る自分が誇らしいです!
っと自画自賛の話ではなく、記憶力全壊のお話からです。
昨夜、今年の干支って何年だっけという話題になり...
『ん~~~...うさぎ??』
などとテキトーなわたしのお答えに納得がいかない知り合いが
スマホで調べて!というので『2017年 干支』で調べてみました。
な!なんと!ニワトリの絵と共に『酉』とか出てくるじゃないの!
まじかーーーーっ(;''∀'')
えーえーお正月の時に酉年だって確認しているはずですよ。
どこもかしこも酉の絵が溢れていたはずです。
昨年の終わりごろから、来年は年女かぁ~~~...
としみじみ感慨深くいたはずです。
なのになのに今年もあと3ヶ月を切ったところで気づいた失態
えーーー?この7か月の間に何があったの?と言いたい...自分に...
その時、3人で話していたんだけど
内もう一人も酉年だったのよ?
その人だってとぼけてるじゃないのよねーーーー?
3歩 歩けば忘れる鶏...ってほんとなんだな。
この身を呈して証明しちゃったな。
ひとりを満喫できる贅沢を選ぶ
…と、そんな自分の年さえ自覚していない恥ずかしすぎる年女。
つい数ヶ月前まで
老後は一人じゃ寂しいのではないか?
財政的な事だって一人より二人の方がいいのではないか?
大きくこの2点が理由で
いつか…と言っても、そんな悠長な事は言ってられないけれど
おひとりさまから脱出しなければならない。
と薄ぼんやりと希望だか野望だか願望だか欲望だかを抱いていた。
だけどね。
お盆に90歳になるおばあちゃんと話したり
夏の終わりかけに少し体調を崩したり
東京に行っている次女が帰省した時に次女vs三女のバトルが発生したり
バツイチ子有りシングル彼氏持ちの友達からの話を聞いていたり
ここひと月ふた月くらいで
なんかなぁ~...このままおひとりの方がいいなぁ...
なぜか結婚ありきなこの日本の風潮のなかで
おひとりさまでいることで得られる自由って
実は、はなかなかできない贅沢な事なんじゃないかなぁ?
に心境が変わって来ている。
一つ一つひも解いてみましょうか。
①おばあちゃんとの話
90歳にして独り暮らしをしているおばあちゃん。
15年前におじいちゃんが亡くなってからずっと。
うちの親...つまりおばあちゃんにしたら娘夫婦と暮らしたら良いのに...
と常々思っているんだけど
気を使うのがいやなんだって。
ありがたい事にまだ何でも自分で出来るし一人が本当に気が楽って。
夫婦をちゃんとやりきって75歳の時に旦那さんを亡くした人に
今のわたしを当てはめるなんておこがましくて
おばあちゃんに失礼だけど
だけど自分のペースで規則正しく家の中をキチンと整えて
清々しく暮らしているおばあちゃんを見ていると
老後の寂しさって決して気に病むことないな!
って思える。
健康でさえあれば。
じゃ、健康じゃない場合は?...とか考えだしたらキリがないし。
それは、一人だろうが二人だろうが心配加減は、あまり変わりがないと思う。
②体調を崩したこと
普通、風邪をひいたり熱が出たりすると独り身が応えるなんていうけど
わたしは、ひとりの方が楽だと思ったの。
独り身が応えるのって、誰かになんとかしてもらいたい欲があるから
特になにをしてもらいたいとも思わない場合
他に人がいない方が断然楽!
これって女性特有かもだけど、少々体調が悪くても
パートナー的な人がいたりすると我慢して
食事の心配をしたり
片付けが気になったり
お話しなきゃとか気にしたり
自分のペースや体調優先で過ごしてもいられない...
これ結構ツライの。
離婚してからここ10年、自分のペースで暮らして来てしまっただけに
人と生活するのが難しくなってるんだな...とつくづく感じる。
そして、それって悪いことなのかな?
いいんじゃないかな?
いままでいっぱい合わせて来たし
あとは自分のペースで自分優先で生きていってもいいじゃない!
って思うようになってきた。
③子供たちのバトル
東京で働いてる次女が帰省で帰ってきて
牧場みたいな山的な所に行きたいっていうから三女も連れて清里テラスへ
PENTAX KS-2 lens:SIGMA location:清里 人:知らん人
その日は日曜日で、三女が入れ込んでいる舞台だかライブだかの抽選の日だったのね。
10時からだっていうから途中で3人で電話かけまくればいいね!
なんて言ってたんだけど10時直前になって
日曜日だから電話じゃなくてネットだ!
と気づき慌てた三女。
10時にHPに入ろうとするもサーバーパンク状態。
そう簡単に入れるわけもなく撃沈で三女どん落ち込みの不機嫌MAX
家にいてWi-FiでPCとスマホでやってたらイケたかもだしっ!
別に出かけたくなかったしっ!と
ずーーーっとぶーたれてる様子にわたしと次女は耐えながら
せっかくの帰省の短い時間を楽しい時間にしようと努力しましたが
三女のどんよりパワーにとうとう次女マジギレし…
せっかく帰ってきたのに!もう帰って来ない!
あんたももう東京に来ても私の家には泊まらせない!
そして、なぜか…
わたしの居場所なんかどこにもないんじゃん!
仕事や色々でいつも気使って実家に帰って来ても気使って!
と泣きながら、それも車中とかじゃなく
人目のある場所でです。
ショックだった。
職場の人達もみんないい人で楽しいと。
暮らしも幼馴染みの1つ上の先輩とシェアで
付かず離れずで寂しくもなりすぎず
かつ、鬱陶しくもなりすぎず生活していると。
その言葉を鵜呑みにしていた事に。
それは嘘ではないだろうけど
家を離れて就職して慣れない生活の大変さを
分かっているようで分かってあげられてなかった不甲斐なさに。
だから、誰にも遠慮する事なく
いつでも帰って来れる安心できる場所を守り続けなきゃって思ったの。
無理してるわけでもなく、自分を犠牲にしてとかでもなく
今のわたしにとって、それが最優先事項で
それが、わたしにとっても心の安定だったりする。
余談ですが、三女のチケットはこれまた東京にいる最強長女が
さらっと
『チケット取れたよ〜~』
とラインを入れてきて。
ナニーーーーっ?まぢかっ⁈
と次女とわたしは驚愕し
三女は身を震わし泣いて喜ぶという結末。
後から長女に聞いたところ
めっちゃ大変だったわ^^;
との事。
ケンカしたって、ご機嫌が悪くたって、遠く離れていたって
うざがられてラインが既読or未既読無視されたって
この3姉妹はわたしの自慢の最高の子たち。
その夜、深夜に次女と三女とわたし3人で
少し季節外れの花火をしました。
PENTAX KS-2 lens:oldlens location:近所
この子たちが小さい頃はよくした花火。
何年ぶりだろ。
この10年、いいか悪いかは別として私たち頑張ってきたよねーーっ!
そこにね今更 新しいオトーサンになるかもの人でーーーす!
ヨロシクーーー!
とか出来ないし
私自身に新生活的な事をする元気も気力も自信もない^^;
そして、もし籍を入れたりしちゃった場合
もし先にわたしが死んで、それほど馴染みのないお相手の
介護や面倒なんかが子供達の負担になったら?
相続なんかの問題は?
お面倒な事が山積み...
④バツイチ子有りシングル彼持ちの友達の話
高校時代からの悪友であり、無血縁性双生児と言えるほど思考も生き方も似ている友達。
今の彼と付き合って6~7年位になってると思う。
子供たちとも良好な関係を築きながら週末婚みたいなお付き合い。
最初はかなりの熱烈さ加減だったのに今となっては家に来られると
早く帰ってくれないかとイライラするという。
子供達とも良い関係を築いているだけに簡単に別れるわけにもいかず
自分の気持ちをなだめなだめ付き合いを続けている。
という。
いつか結婚という選択肢も
彼の家のローンが定年後も続く事。
ご両親との二世帯住宅で否応なく同居になる事。
今の気持ちでは喜んで同居に臨み
いずれ遠からず来るだろう介護に当たる自信も持てない事。
そして、最大の問題は
週末でさえ欝陶しいのにずっと一緒に暮らすなんて
とてもじゃないけど全く考えられない。
少々 ショッキングな内容かもだけど分からないでもない。
だけど、お付き合いをしている中で
同じ趣味を持って子供達とも一緒に家族のように出かけたり
楽しい時間もあるはずだし
頼れる彼がいるっていう安心感もあるはず。
6年7年の年月を一緒に過ごして培ってきたものだってある。
失ったら必ず後悔するから手放してはいけませんっ!
そう。子供とも良好で、もうすでに培ってきた年月があるなら
それは手放すべきではない!とわたしはいつも言う。
でも、わたしは今から子供たちと良好な関係を作ってもらう努力とかキツイし
年月を一から培うのって、もう疲れちゃうかなと思う。
そして、鬱陶しくなるって...それツラい 涙
ならないという保証はない。お互いに。
そして、友人の決め言葉
あんた!老後のお金の心配して年金もらうにだって
一人より二人とか言ってるけどさ!
いくら二人分年金あるって言ったって絶対的に二人の方が出費は多いし
一人暮らしの方が有利だってよ!
あら...そうですか?
そこはもらう年金やらなんやらで人それぞれ
何とも言えないとは思うけど...。
てな事で、今月から『個人型確定捻出年金 iDeCo』始めました!
やらない人はできない理由を探す
新しい事やチャレンジ、仕事や様々の事柄を
『やる』・『やらない』を悩んで『やらない』を選択する人は
だって○○だから。○○がないから。自分って○○だから。
と『やらない』理由をたくさんたくさん思いつく。
『やらない』んではなくて訳あって『できない』んだと
まわりだけでなく自分をも納得させるために無意識に正当化する。
たぶん...人ってやる気になれば大抵の事ができるよね。
↑に書いたことって『やらない』を正当化してるのかなー?とか思うけど
おふたりさまになる事って『やらなければならない』事でもないし
努力して達成しなきゃ!って事でもないし
今のわたしにとって是非『やりたい・なりたい』事じゃない。
人生の選択って難しい。
『逃げ』なのか『選び取ったもの』なのか
その『逃げ』が上手く転んで成功に発展するかもしれないし
『選び取った』はずの物が、どんでん返しの転落人生への道かもだし
外的要素で思ってもみなかった方向に進んでいく事もある。
生きてみなきゃ分からない。
だから、もう間もなく半世紀になる人生を生きて来たわたしは
わたしにとって心地がいい未来を過ごせる確率高めかな?
と思われる生き方をわたしにさせてあげようと思う。
まだまだ自分の考え方やスタイルや生き方や意識で
いくらでもカッコよく自由でいられる年代だと思うし
自分を楽しませてあげられる年代だから
老後のためだと敢えて苦労を選び取って
貴重な壮年期の何年間かを費やしたくない。
お金もなく伴侶もいないけれど
しがらみのない自由という
私にとって最高の贅沢を手放す勇気は今のわたしにはない。
ぁ!ぁ!!
も...もしかしたら思ってもいない外的要素が突発的に偶発的に運命的に
今の私の心境を変える事もあるかもしれない...
と最後に言い添えておきます...テヘ